JANAMEFメルマガ(No.28)

米国と日本での研修を通して考える理想の家庭医療研修

角田 秀樹
UPMC Shadyside Family Health Center


はじめまして。UPMC Shadyside Family Medicine Program PGY2 Residentの角田秀樹(つのだひでき)と申します。日米医学医療交流財団のメーリングリストに寄稿する機会をいただいたことを大変光栄に思います。私は2021年6月に渡米し、家庭医療レジデントとして勤務を開始しました。特に渡米直後の生活のセットアップは多くの困難を伴いましたが、財団から助成をいただいたことで、円滑に研修を開始することができました。この場を借りてお礼を申し上げます。せっかく頂いた機会に、どのようなテーマで寄稿させていただくか悩んだのですが、今回は日本と米国の2カ国で家庭医療研修を体験する中で、私が家庭医療研修について考えたことを共有させていただければと思います。

私が渡米を決断したのは、医師4年目の春に家庭医療レジデントとして小病院で勤務していた時でした。当時は病棟での内科的なアセスメントに自信が持てるようになり、ひとりで対応できる症例も増え、主治医として常時10-15人の入院患者を担当していました。患者のほとんどは70歳以上の高齢者で、疾患の8割が肺炎、尿路感染症、慢性心不全でした。また、自分たちの患者の他にも、他科の発熱患者の対応や、精神社会的に複雑な患者を突然任されることもあり、忙しい日々を過ごしていました。当時の職場では指導医だけではなく、多職種の方々からも患者を人としてケアすることの大切さを教えていただき、医師としての礎を築き上げることができたと感じています。しかし一方で、診療する患者の年齢層や扱う疾患が、ある程度決まっていたこともあり、日々の業務を単調に感じることもありました。『幅広く診療したい』というぼんやりとした理由で家庭医を選んだ私は、日常業務に追われる中で、毎日自分が成長できているのか、将来は何をしたいのか、なぜ自分は家庭医になったのか分からなくなってしまいました。家庭医が確立している米国で、研修を受ければ自分の中に家庭医としてのコアを作ることができるのではないか、と考えて渡米を思い立ってから5年後、色々なご縁に恵まれ、2021年にPittsburghで家庭医療レジデントとして二度目の研修医生活を開始することができました。当時の私は『米国に行けばなんとかなるだろう』という浅い考えを持っていたこともあり、多くの先輩から厳しい言葉もいただきましたが、それでも現在は、家族と共に充実した日々を過ごしながら、がむしゃらに突き進んでよかったと感じています(ちなみに私は米国に臨床留学するために論理の通った理由は必ずしも必要ではなく、チャンスがあればまずは飛び出てみるのがいいと思っています)。

米国で家庭医療の研修を開始してもうすぐ2年が経過しますが、米国の家庭医療研修の特徴は、患者の多様性と健康問題のバリエーションの多さにあると感じています。米国の家庭医療研修では、それぞれのプログラムが研修の核となるクリニックを持つことが義務づけられており、家庭医療レジデントは色々な科をローテーションしながら週に半日〜2日程度、所属するクリニックで外来研修を担当します。クリニックには、年齢・性別・人種の異なる患者が、さまざまな主訴で受診してきます。私の場合は、新生児健診や小児健診、若年患者の性感染症の診療、婦人科診療、うつ病/不安症/ADHDの診療、妊婦健診や避妊の相談などの領域については、日本ではほとんど経験したことがなかったため、米国に来てから一から診療を学びました。診療でカバーしないといけない範囲がとにかく広いので、臨床現場で生じる疑問の数も日本で勤務していた時の比ではありません。また、患者も医師の指導に素直に従うことは少なく、自分で納得する答えを導き出すために、どんどん質問を投げかけてきます。このような環境で日々生き延びていくために、毎日必死に調べ物をしては、次に似たような相談を受けた時にスムーズに対応できるように、学んだことを記録することを続けています。このような努力を継続する中で、『クリニックに訪れる患者のどのような健康問題でも自分は相談にのれる(のってみせる)のだ!』という家庭医としての矜持が、自分の中で少しずつ養われてきたように思います。

また、継続的に外来診療を担当することも家庭医療レジデントにとっては重要な意味を持っています。私が日本で家庭医療の研修をしていたころ、内科をローテートした際に、その科で颯爽と活躍する内科レジデントの姿を見て、自分はこのままで大丈夫なのだろうか、と不安を覚えたことがありましたが、米国の研修でも似たようなことは起こっています。家庭医療の研修では、救急科、ICU、小児科、産婦人科などの専門科をローテートし、その専門科のレジデントたちとチームの一員として一緒に働く機会が多くありますが、その専門科のレジデントは、当然家庭医療レジデントと比べて、その科の知識に詳しく、手技にも慣れているため、私たち家庭医療レジデントは、仕事での効率性や貢献度という点では、チーム内でどうしても劣った存在になってしまうことが多いのです。しかし、家庭医療クリニックで定期的に診療していることで、異なる立ち位置から自分を認知することができるように感じています。専門科のレジデントと自分を比較し卑屈になるのではなく、実際にその科で学んだ知識や技術をどのように家庭医療クリニックでの診療に活かすことができるかという点にフォーカスして、自分の足りない部分についてはある程度割り切りながらポジティブに研修に臨むことができていると思うのです。実際に専門科でのブロックローテーションで学んだ内容を家庭医療クリニックに持ち帰ることで、よりスムーズに質の高いケアを患者に提供できるようになっているという実感が、このポジティブな感情をさらに強めています。

一方で日本の研修の方が優れていたと感じる面もあります。日本の研修では、患者中心の医療や家族志向のケアなど、家庭医療の枠組みを用いて、診療を深めることを学びました。このような診療の技法を学ぶことは、特に未分化な健康問題や、複雑困難事例などに対峙した際に、患者と円滑にコミュニケーションを取ったり、答えのない問題に落としどころを見出すためにとても役に立ちました。しかし、米国で研修を開始してからこういった家庭医療の枠組みの話はほとんど聞いたことがありません。また、日本にいた時はポートフォリオの作成や指導医との面談を通して、自己省察を行う機会が多くありましたが、こちらに来てからはある症例や出来事に対して、自分の内面や感情にフォーカスして省察する機会は非常に少ないです。米国では研修の修了要件も厳しいため、そこまで手が回らないと言うのが正しい表現なのかもしれません。レジデントの多くは自己省察よりは、自分が診た症例の数、自分がとったお産の数や様々な手技への習熟度などをより気にしているように思います。

さまざまな年齢・性別の患者の幅広い健康問題に適切に対応する医学的な知識・技術を身につけること、家庭医療の枠組みを用いることで疾患のマネジメントとはまた別の次元で質の高いプライマリケアを患者に届ける方法を学ぶこと、このいずれも総合診療・家庭医療の研修にとっては重要で、どちらが欠けてもいけないと思います。特に日本の場合は、専門医への医療アクセスの制限が緩く、患者が初めから専門医にかかることができるため、総合診療医・家庭医が曝露される患者層や健康問題の種類が限られやすいという特徴があると思います。しかし、日本でも、長い時間をかけてその地域に根ざして診療を行う中で、その地域の人々、そして自治体からも信頼を得て、幅広い患者層を獲得し、質の高い家庭医療教育を提供している研修プログラムは存在しますし、日本における総合診療・家庭医療の発展のためには、このような質の高い教育サイトの数がどんどん増えていく必要があると思います。また、現状の日本の家庭医療研修では特に3年間の研修の12ヶ月を占める総合診療Ⅰをどのような環境で過ごしたかによって、研修に大きなばらつきがでるという問題もあり、研修の均質化についても今後どんどん議論を発展させていく必要があります。

色々家庭医療研修について思うところを記載してしまいましたが、まだ自分のことに精一杯で、日本における総合診療・家庭医療教育に何も寄与することができていない立場としては、日本で少しでも良い家庭医療教育を提供しようと日々尽力されている先生方には本当に頭が上がりません。米国にいながら、日本での研修についてコメントすることは、部外者が壁の外から物申すようなばつの悪い感覚がありましたが、それでも日本と米国の両方で家庭医療研修を経験したものとして、自分が感じたことを共有することに何かしら意味があるのではないかと思い、今回このような寄稿をさせていただきました。日本において総合診療・家庭医療はまだマイノリティーではありますが、社会から質の高いプライマリケアが求められていることは疑いの余地がなく、専攻医の数も増加傾向にあり、日本の総合診療・家庭医療の未来は明るいと信じています。私も具体的なプランについてはまだ決めかねていますが、将来的には、総合診療医・家庭医を目指す若い先生方が自信を持ってこのキャリアを選択できるように、自分が今米国で学んでいることを活かして、日本での総合診療医・家庭医教育に何らかの形で携わっていけたらと考えています。

 


執筆:角田 秀樹
UPMC Shadyside Family Health Center

 

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